ふーさんのタイ日記

齢50を超えてタイに赴任。人生初のラッキーが起こるか?

見て、感じ、そして思った事

【日本のテレビを見て】

1日1日の新型コロナ新規陽性者数に一喜一憂しても意味が無いのは分かる。

 

しかしここまで来て新規感染者数が増えるのは内容はともかく何となく嫌な気がする。

 

昨日時点での新規陽性者数はサムットサコーン県に次いでバンコク都が第2にランクインした。

 

タイCOVID-19状況管理センター発表ではバンコクで新型コロナ新規感染者14名だとか。

 

何処までPCR検査をしたのかは分からないが、これら14名が有症状者だとすると、90%は無症状者。

 

さすれば。。。

 

計算したくない。

 

いよいよこの月末での新型コロナ陽性者数でタイの規制緩和が進められるかもしれない。

 

先ずパタヤのラン島が本日(?)より観光可能となった。

 

シーラチャーのシーチャン島はまだの様であるが。

 

このままいけばと大いに期待を寄せるところである。

 

バンコクもまだ夜街は開かないが、来週から一部規制の緩和が始まる。

 

早くバンコクへ買い出しに行きたいものである。

 

日本の報道を見て感じてしまった。

 

今更な話かもしれないが、ひょっとして日本はヤバいのではと。

 

新型コロナ新規感染者の話ではない。

 

こんな50も超え髪も薄く肥えた血糖値の気になるおっさんが勝手に感じただけである。

 

この新型コロナは意外なモノをあぶり出した気がする。

 

現地に居ないので嘘か誠か分からないが、緊急事態宣言下に於いて、外出が増えていると。

 

正しくは街中での人の数が増えていると。

 

それに伴い飲食店もソレではと開けるところが出ても不思議ではないとの話も報道されていた。

 

飲食店等々も生き残りを掛けている状況なのでやむ無しも有るのだろう。

 

これまたテレビに出ていた某有名ホストの話。

 

意外と最低の状況でも生きていけると語っていた。

 

私のお友達も事業をコカし9桁に上る借金を背負った事もある。

 

でも生きている。

 

生きているだけで丸儲け。

 

何をどうしても一時は確実に大変である。

 

日本国が保証している事で初めて価値を持つお金。

 

私も含めてお金にとらわれ過ぎている気がする。

 

お金があって幸せな人も居ればお金が無くても幸せな人もいる。

 

お金が無くて不幸な人も居ればお金があって不幸な人もいる。

 

幸せをお金に求め、そこに基準を持つことの意味。

 

お金とは何だろうと仕事量の少なさから考えてしまった。

 

お金の視点で見ると皆が欲しがる物は高価になり、ソレを持つことがステータスとなる。

 

私は周りの人よりも高い物を持っている優越感。

 

私もこんな歳になってタイでマネージャー職、部長職等々を頂き優越感に浸っている。

 

この優越感が幸せに感じる人も私の様に居ると思う。

 

良く言われる事であるが、人と比較するところに意味は有るのであろうか。

 

人は人、自分は自分である事に変わりはない。

 

パラダイムシフトではないが、見方を変えるとである。

 

あらゆる事を楽しむ心。

 

悩みのほとんどはお金で解決できるのも事実であろう。

 

そのお金が無く苦しむことも多いと思う。

 

私ももっとお金があれば再度お嫁さんを貰えるのではと考えてしまう。

 

ならばどうしようと考える楽しさ。

 

考えた事を実行する楽しさ。

 

ソッチに目を向けた方が得な気がして来る。

 

この新型コロナ禍に於いて大変なのは飲食店だけではないはずである。

 

そして仕事が無くなれば収入が途絶える恐怖。

 

色々な制約が仕事のみではなく、実際の生活にも沢山掛かっていると思う。

 

ならば考える良い時間であろうと思う。

 

日本人の良いところだと思う。

 

人に迷惑を可能な限り掛けない。

 

そこに良くも悪くも我慢が存在すると思う。

 

その我慢も必ず限界は有ると思う。

 

しかし、その我慢の限界が低くなっている気がしてならない。

 

飲食店を助けるために出掛けて食事をする。

 

ソレも良いだろう。

 

しかし、自分自身の我慢の限界が来たことの言い訳ではいけないと思う。

 

人に説明する必要も無いと思う。

 

自分の行動には自分で責任を持てばよい。

 

自由には必ず責任が付いて来るのだから。

 

自分で考え納得できる想いを持ってお店を助ける行動をとって欲しいと願う。

 

雰囲気に流され「赤信号 皆で渡れば怖くない」ではより危険な思考な気がする。

 

しかし、テレビ報道を見ている限りではその感が非常に強かった。

 

信号は真っ赤か。

 

そして我慢の限界の低さ。

 

すぐ切れるとは話が違う。

 

切れる状態は許しがたい事が2つ以上に重なった場合に発生しやすいと聞いたことが有る。

 

意図的に切れる事で自分の主張を通そうとする手法。

 

日本人のもう一つの良さだと思う。

 

団結力。

 

団結力に切れる事が必要とは思えない。

 

1人の力は小さくとも集まればである。

 

1人が自分の思い通りに行かない事で切れてもなのである。

 

意思を同じにする人が集まり力になる。

 

仲の良い人たちが集まるのとは意味が違うと思っている。

 

誰かが大号令を掛けてソレに従う事も違うと感じる。

 

幸せ同様に先ずは自分の意思ありきだと思う。

 

色々と各個人が良く考え、自分の有り方を決めるのが先だと思う。

 

その自分の有り方がどこかで変わっても良いと思う。

 

「自分はコレである」を人に押し付けたり説明する必要も無いと思っている。

 

ただ何となく楽しいから。

 

ただ何となく楽だから。

 

ただ何となく毎日が過ごせるから。

 

まるっきりの私である。

 

大して考えることも感じる事もせずに50を超えるまで過ごしてきた。

 

何かに寄り掛かり、本当に自分の足で立っていなかったと強く感じる。

 

身近なところでは仕事である。

 

何となく定年後はタイ人の奥様と田舎で商売でもしてと漠然と考えていた。

 

正しくは考えてもいなく、だったら良いなとの希望的観測に他ならない。

 

製造量が減っている現在。

 

ひょっとしたらタイを撤退せよとの判断が日本で下されるかもしれない。

 

「あらそう」ときっと単純に帰任してしまう自分が居ると思う。

 

会社に寄り掛かっている自分がいる。

 

大勢の人が働く会社で何となく過ごしている。

 

命じられたことをしていれば給料がもらえる。

 

しかし本当はもっともっと考えて自分の意志で行動するべきなのだろう。

 

会社に寄り掛かるのではなく、自分の意志で行動する。

 

世の中のほとんどは間違っているのかもしれない。

 

少なくとも幸せと感じる人が50%を超えないと何かが間違っていると思えてしまう。

 

本来は半分以上ではなくほとんどの方が幸せだと感じる世の中が正しいのだと思う。

 

流される快楽が幸せではない。

 

私は自分の意志で決定し、行動しその責任を負う事が本当は楽しく幸せではと感じているのかもしれない。

 

タイの夜街でもそうしよう。

 

快楽におぼれて思考を停止していた自分が居ると感じる。

 

ふとタイから日本の報道を見て感じてしまった50も超え髪も薄く肥えた血糖値の気になるおっさんせあった。 

 

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